善補楽工房のblog

随筆『毛筆文化と蒐集』の内容をブログで紹介。東隅閑人が書いているらしい

令和年は地震でスタートとなった。令和はコロナ、地震、戦争などと悪いことが続く。
昔なら改元したくなるところだろう。IMG_20220810_165134

2024年
謹賀新年
今年もよろしくおねがいします。

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いよいよ押し詰まっての大晦日。大学の仕事をやめてちょうど1年。
金町別墅の家賃のために月に15日ほど時給仕事。月に1度の水鳥の会。
月次の近世金石研究会。あるいは書物研。
週に1度程度の神保町。古書会館の即売会は金曜日。
時々居酒屋。駒込に行く。
blogも毎日。家賃仕事は夏からで。その前は谷中で坊さんの墓の拓本とりもしていた。
特に論文も書かず、仕事らしいことはせずストレスは少なくなった。コロナ絡みの仕事やその制限がなくなったことが大きい。コロナ嫌い、辛いものが嫌い。高い古本が嫌い(笑)。
振り返れば、そう悪くない1年でありました。おかげさまでございます。
どうぞ皆様も、ご健勝、ご多幸でありますよう。
新年もどうぞよろしくおねがいします。
                                      東隅書生頓首頓首

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ちなみにブログはQRコードの「毛筆文化と蒐集」へ移行しています。

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市河得庵は市河遂庵の子。市河米庵の孫にあたる。

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気が付くと足立・葛飾・隅田川の花火は終わっていた。
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花火は本日各所であるらしいが、どこにも出ずに引きこもって過ごす。漏水復旧工事3日め。工事立ち合いで出歩けず。
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工事立ち合い後に少し古書会館まで行って即売会など覗いたが、何ほども買うべき本は無し。無暗に買うと置き場に困る。
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5のつく日だが、外食もしない。腰が少し傷む。拓本疲れか。今年の早朝拓本は打ち止めか。台風のニュースを見るとこれから拓本にむかない風も出てくるだろう。肉筆資料や和刻法帖などもう少し利用しやすいよう整理が必要だが、金町別墅は暑くて整理作業ができない。
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書風は巻菱湖流である。よく書いている。署名をみなければ巻菱湖の書に間違えそうだ。巻菱湖門四天王といえば、中沢雪城、萩原秋巌、生方鼎斎、大竹石舟だが、茅野雪庵、牧野天嶺、桑野松霞は菱湖の書風をよく書いている。もちろん息子の巻鴎洲も。
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今年の立秋は8月8日。残暑は厳しくなりそうである。
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拓本採りも倦むのであった。何しろ暑い。熱中症の危機ならん。こう暑いと外へ出たくない。まして人混みは敬遠したいところである。その点墓地は静かなのだが、拓本作業中は汗が吹き出す。ちと休憩。

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『毛筆文化と蒐集』は卅七号まで版下を完成している。未刊なり。牧野鋸野の墓を泉岳寺に探しに行って見つけられなかったのは永井荷風であった。大正13年3月3日。もはや拓本で碑文を知るのみか。

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正木龍眠の肉筆幅はご参考まで。
細井廣澤→細井九皐→松本龍澤→正木龍眠といった師承の中にある江戸時代後期の書家である。

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心斎こと佐瀬得三の楷書碑である。父は著名な書家の佐瀬得所である。根室県は今は無いね(笑)楷書体でも昨日紹介した山口直臣と本日の佐瀬得三と同じ楷書体でも書き手が違えば書風も当然違う。人によって筆跡の違いは当たり前の事であるが、もしこの碑文を活字に翻刻してしまっては人それぞれの書風の違いが分からなくなる。違いの分かるままに書風の個人差ごと文字の姿を採取することが出来る技法が拓本なのである。字姿を大切に考える毛筆世界の技法である意味を忘れてはならぬだろう。今年は暑くて蚊も活動しにくいのか少ない様子、拓本採取者にとっては幸いであろう。

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碑面の書に目がとまる。記録として拓本を採る。上は紙を水貼りしたところ。下はブラシ打ちしたところ。

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碑面は上から墨を打ち始める。下は半ば墨打ちの進んだところ。
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墨を打ちが半分以上進んだところが下の写真。
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墨を打ちがほぼ完了したものが下。
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拓本は碑面から剥がして採取完了となる。ここで破ってしまってはだいなしだ。慎重に上から剥がしていく。まだ完全に乾ききっていないのでここは気を付けるところ。糊など使っていないので、紙自身の重さで自然に剥がれていく。
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下は父佐瀬得所の追福書画会告知のチラシ。佐瀬得三は心斎と号したと知る。父を継いでの書家である。

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墓域の左側に立つ宅間海鴎の墓碑はぐるりと全面に紙を巻きつけてから濡らして貼りつける。
墓碑の裏面は荒叩きのままで、碑文は無い。
正面の題字とその左右の面に字刻を確認する。
右側は没年の文政十一年正月十六日卒と孝子重基建の文字を見る。左側の面には辞世の七絶が刻まれている。

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佐倉藩士宅間氏の墓域の中央に立つ墓碑。依田百川の撰文にかかる墓碑文を採る。3基並ぶ墓碑の中央。竿石の正面には「宅間遠之墓」とあり、碑文は左からぐるりと残る3面にわたる。2面ずつ紙を当てて採取する。「遠」あるいは「重遠」は名で、「士毅」が字。墓碑文は大概字で書かれている。撰文は依田学海。学海は士毅の友人であった。敬意をこめて諱では語らず、字で人物を語っている。
拓本採取は水貼りから。

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採取作業はブラシ打ちに入る。
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作業は墨打ちを完了して終了する。
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墨打ち前の碑文は見ても判然としない。拓本を必要とする。
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柳沢維賢の書幅という伝である。尾張藩士で明倫堂で教えている。また家塾を開いて教授していた人物と伝わる。能書としても名がある。「清須神明町鬼頭新左衛門の三男。親戚の柳沢氏の養子となる。字は景甫、通称は吾一。号は新道、反求舎。安永年久村曉台の門で俳諧を学び、天明年伊藤三橋の門で書を学ぶ。寛政年、尾張藩士となり、享和年中は鈴木朖の門で和漢の学を研究。文化年から巾下新道に家塾反求舎を開く。天保年から藩の記録所に出仕し又明倫堂で古文などを教える。嘉永元年、八十歳のとき藩主より生鯉二尾を賜った。法号は総明院聖誉知達」とネットに略伝あり。

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湧蓮法師の自画賛幅という伝であったので得てみた。書の書かれた幅は個人宛の手紙と違って複数が見る前提の筆跡であるだろう。

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湧蓮法師についてはネットで検索できる人物だろう。贅言しない。
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画賛は歌を書いたものだろう「乃べミ礼ば 志らぬけぶり能けふもたつあすの薪や たが身なるらむ」とでも読むか。

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古本屋で図書館の冊子版目録を得た。「大江文庫目録江戸時代篇」の1冊。価格500円。少し前では3800円で売られていたと思う。それでも売れないのでこの価格になったものだろう。この手の書目の古書評価は低くなった。ネット検索で間に合う環境になったと思われている。だがネット検索では知れない要素が冊子目録にはある。編纂の思想である。

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この目録は、東京家政学院大学創立50周年記念の刊行として図書館収蔵の近世書目録を刊行したもの。それまでは謄写版の分冊刊行をしていたものを節目の50周年での記念刊行が行われた由。家政大学蔵書であることから、家政学の視座から収書された近世本を家政学の分類で配列したところに独自性を持つ図書目録である。普通なら経書、史書から配列するところを「家政・家事・本草・風俗習慣・産業・教育・一般書」といった独自の見識で整理されている。昨今は古典籍目録はネット版で提供され、個別の書目は容易にネット検索出来るようになった。書目から直接検索出来るため、分類配列になかなか意識が行かなくなった。蔵書をどのように配列整理するのか。ここでは家政学関連図書に蔵書が集中していて、旧来の四庫分類では現実的ではなかった。そこで家政学的配列を作って分類したものらしい。口絵写真もついている。詳細は「編纂の辞」、あるいは「凡例」で確認できる。

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書配列には思想がある。凡例、或いは編纂の辞としてそれが説明されているのだが、ネットで書目を検索してもそれは知れない。つまり紙の冊子で作られた図書目録の価値はそこにあると言える。如何なる思想によって編纂した目録であるのか。家政大学は家政学の視座に拠り独自分類をなしたのであった。ここに昭和四十八年刊行時点の家政学へ向けて図書整理を通しての思想背景がある。

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碑額と碑文の書体選択には書体ヒエラルキーを見る。

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碑額は篆書。碑文は楷書。上位の書体から篆書→隷書→楷書→行書→草書→仮名の書体選択のヒエラルキーを見る。もちろん例外的な選択事例もある。近代では書体ではなく揮毫者の官職位のヒエラルキーがより優先される場合も多く見かける。
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この碑は碑額は行書。碑文が楷書の逆転事例。
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今朝は風もあって比較的涼しく拓本が採れたのだが、風が拓本作業の邪魔をする。が、水をたっぷり使って貼りつければ、濡れている間は風の問題はない。
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水貼りの完了。
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拓本作業はブラシ打ちから墨打ちへ。この碑も篆額と楷書碑文の書体関係を見る。ヒエラルキーの原則にしたがった書体選択。金井之恭の書丹にかかる。
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風のある時の注意は、拓本を碑面から剥がす時にあおられてせっかくの拓本が破れる場合もある。上から紙を当てて、碑面からその紙の方へ移すようにそっと剥がすという手もある。なかなか文字だけでは説明しがたい。技術伝授は対面でその場での直接伝授の機会が必要だろう。




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『善補楽工房へんてこ通信』

~古本は買わなくちゃダメ号

東西(とざい)東西(とうざい)金曜と土曜は古書会館で古書の即売会がある。中国人が和本を仕入れに山ほど買っていく。商売として成り立つのだろう。

こちらは懐具合が寒いので節約しつつの買い物。梅雨明けとともに「暑中お見舞い申し上げます」。って、まだ梅雨明け宣言は出ていない。

6月晦日は「水鳥の会」新メンバーも交えて開催。翌日より7月は東京ガスの節電期間のスタート。自宅に居るとクーラーつけっぱなしになるので、節電にはお出かけしましょ。本屋でも飲み屋でも。深夜アニメも入れ替わり新しくなる時期でもあり、最近あまりに多いため選択の必要がある。つまり最初は全部見る必要がある。その時間を捻出する必要があるということになる。早朝拓本時間との調整が必用となり、その選択も必要となる。拓本は今年、坊さんシリーズで碑文を持つ墓碑のロケハンは行った。既に記録されているのか、拓本の所蔵があるかまでは調べていない。とりあえず現時点の記録を作る必用は感じている。坊さん墓も最近は整理されてしまう。一人ずつ一塔を持っているとは限らなくなった。合祀は合理的ではあるが既にある近世の碑文を持つ墓塔については残すべきものと思われるものも消えていたりする。毎年7月は「七夕古書大入札会」がある。下見は自由に行けるが、購入は懐具合と相談しても買えない価格だね~。見るのはタダ。新規の購入は足で安価なものを古書肆の棚に探すか、あるいは即売会へ出かけるか。目録買いは高額になる。明治古典会の立派な目録も届いた。りっぱな値段設定でござる。失業手当も7月の認定で150日分が終了する。無事いただくものは戴いたことになる。善哉善哉。7月の「書物研」は第160回と節目の開催で一橋大学を会場に久々の対面開催。懇親会も復活した。対面懇親会こそ研究会に必須とおもわれる。2日連続で而今を飲むことになった。これまた善哉。

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7月7日は節句。画家は「万化房」。実は三井親和が描いている。書は知られているが画福は珍品。

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画の時と書の場合と名乗りが違うという事だろう。書幅の中に「万化房」の署名を見た事は無い。三井親和の肉筆幅はしばしば見かける。安っぽい表具の肉筆であれば左程の高額にもならないで得られる。古文か行草書かでも評価は変わるだろう。概して江戸の書家と儒者は市場においても安価である。一部の人物のみ高価な取引にの様子だ。


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「拓本」が単に読むために写しとる技術ではなく、文字の持つ視覚データとしての書体や書風もそのままに原寸で紙面に写す技術であることの確認ができるだろうか。毛筆文化の中で発明された文字を写しとる「拓本」とは、字姿を見るための技術である。活字翻刻のためのテキストとして読むためのものとは些か違うもの。未だ活字や硬筆の文字世界ではなく毛筆文字世界の中で発明された技術としての「拓本」であることを忘れてはならない。このような事を殊更に言うのは、昨今「ひかり拓本」といった拓本という呼称を持ちながら読む技術に特化しているものが普及しはじめた。碑を読むから拓本という呼称を用いることは正しくない。碑文を「書」として採取する技法として「拓本」はある。それを援用して読みにも利用するのである。伝統的「拓本」技法の代替技術かのような申しようには誤りがある。伝統的「拓本」技法と最近の「ひかり拓本」とは全く別物であるという説明が必用であるが、奈良文化財研究所はアプリも売り出して伝統「拓本」技法を駆逐する方向である。世の中が更に「拓本」の理解を失い、採取の許可の壁となり、採取が困難となる。現存する最古の拓本は、敦煌(とんこう)の蔵経洞(ぞうきょうどう)で発見された唐時代の「温泉銘」で、拓本の起源は更にそれ以前に遡ると考えられている。当然現代の文字世界とは異なる毛筆文字を唯一の筆記法とする中で発明の技法であることが知られている。活字テキスト(読み)のための技法ではないという意味である。書風の複写法なのである。拓本は「=毛筆文字=書」を伝える技法(或いは複製する技法)であると了解しておく必要が、前提としてあることを忘れてはならない。それを証明する一事として印刷された法帖の価値は書風にあるという事。書風を見るための書物である。書かれたものを活字翻刻しては法帖の書物としての価値はなくなってしまう。その点から考えても拓本は書風を摺るものであって、碑を読む技法では無いことが知れるだろう。伝統「拓本」の継続。碑文があれば積極的に拓本で記録しておく必用があると思われる。何時突然湮滅するか知れない。


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拓本は折りたたんで袋に入れている。拓本に折り目がつくのだけれど、もし、折り目をとりたければ霧吹きで水に濡らして折り目を取るという手が無いわけではない。それも手間なので折り目のついたままで広げて見られれば良いようにも思う。広げれば原寸の碑面と同じ文字を書風とともにみられるという利点が拓本にはあるのだった。

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古書価格は暴落している。「大字版東方年表」は300円。『京阪書籍商史』は短大除籍本で1500円であった。

無職状態も1月~7月となったが、経済的に不自由さがある。夏のボーナスも無い。もちろん給与も無い。仕事も無い、失業給付も150日で終わり。さあ、年金もまだ出ない。前倒しでは減額になる。ここは少し我慢のしどころ。少しアルバイトで本代・コピー代を都合する必用が出てきそうだが。仕事をすれば時間の自由が無くなる。なかなか両立しない。スポットで働くアプリなどもあるらしい。定職につかない流動的な労働。政府も労働力の流動性を推奨する動きがある。これまでの働き方の価値観を変えようとするものだが、年季を要する仕事もあるのでケースバイケースとなろう。研究も拓本も年季を積んで成果をあげられるもの。一朝一夕に完結するものでもないと言える。

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『扶桑鐘銘集』全3冊を得たのだった。書物としては木版印刷で、本文は楷書で原稿が書かれた。鐘銘を文として伝える編纂物で、鐘銘の書風や刻法、鋳造の文字を見せるための書物ではない(笑)。なかなか高額な古本なのだが、今回は比較的安く得られた。古本もデータでなく現物を買っておきたいもの。これは全部をブログに掲載して読者に提供した。「日本の古本屋」で検索してもここまで安価な本は無いのであった。安く買った事は善哉、善哉。『閑散余録』の中にも「扶桑鐘銘集」の名を5行目の下部分に見る。

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風のある朝であったが、拓本採りに向かった。既にロケハン済の坊さんの墓塔へ。下の2基が採取の対象。

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右は無縫塔裏に碑文があり、左は台石部分に碑文。

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採拓は水で紙を貼って、墨を打つといういつもの手順。風に吹かれて紙がはがれる。養生テープをつかって押さえる必要が出てくる。
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縫塔の文字は平滑面ではなく、文字の視認困難。

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田中維一の墓碑全体に赤茶色のコケを見る。この原因はトンでも野郎がノリを使って紙を貼った後に洗わず放置してこうなった。不届き者がいる。
更に白札が墓域前に立っている。最悪は
1年後に無縁墓扱いで廃絶される可能性があるという事。

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碑がなくなってしまってはと拓本をとっておく必要があると考えて、いつも通りに採ったらば、ノリが残っていて紙が剥がれない。紙が糊で貼りついたのだった。
マナーの悪い半可通の拓本野郎は排除されなくてはならない。このような事が起こるのは、拓本教育が無い事が原因であろう。
糊を使えば、碑が汚れること、次の拓本採取に障害が起こることなど、糊の利用には全く良いことが無く、違反行為と断言できる。糊を使った拓本採取は禁ずるべきであるだろう。
紙を水のみで貼れないのならば、拓本を採ってはならない。
技術と知識が不足している者は正しい拓本法を学んでから拓本採取を行うべきである。そんな拓本学習機会が無い現状も問題である。

碑面を洗い始めたが、当初碑面洗いの段取りを予定していなかったため、持参の水が尽きて、掃苔(糊掃除)は中途半端になってしまった。清掃時間も予定が無かったため、あらためて碑面の掃苔、糊落としが必用であろう。それまで碑が残っていれば…。

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碑面を洗うと石の色が出てきた。余計なものを碑面につけてはいけない。
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文字が細かくて剥落もあって読みにくいが、村瀬雪峡の肉筆書の資料としてここに掲載しておくだろう。村瀬秋水の長男。天保元年生まれ。明治12年に亡くなった人。

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水貼り、ブラシ打ち、墨打ちの手順で拓本採りを下のように行う。

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水貼りしたところが下の写真。
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ブラシ打ちを完了した段階が下の写真。文字が大き目なので、手ぬぐいを当てて、その上からブラシで叩いている。紙が文字に食い込むが、破れずにはりつき、かつ水気が手ぬぐいに移って、すぐに墨打ちにかかれる。紙が上の写真と比較して白っぽく見えるのは、水分が減って、乾きつつある状態であることを示している。
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墨打ちを行った状態が下の写真。ブラシ打ちを入念に行えば、糊など使わなくても紙は碑面に密着して墨は打てる。糊など使えば、碑面に残ってカビやコケを呼ぶため、碑の保存に悪手というべきだろう。よほどよく洗う必要があるが、昨今この糊使いがいるらしく、碑の汚れを多々見かける。紙の糊貼りは邪道である。
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墨打ちが終われば、さらっと紙は剥がせる。糊の残った碑に出会うと紙が貼りついて剥がれない。糊を使った後に碑を洗わずに放置するものがいるらしい。
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「拓本」が単に読むために写しとる技術ではなく、文字の持つ視覚データとしての書体や書風もそのままに原寸で紙面に写す技術であることの確認ができるだろうか。毛筆文化の中で発明された文字を写しとる「拓本」とは、字姿を見るための技術である。活字翻刻のためのテキストとして読むためのものとは些か違うもの。未だ活字や硬筆の文字世界ではなく毛筆文字世界の中で発明された技術としての「拓本」であることを忘れてはならないだろう。

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墨打ち途中の裏面、採拓中の写真が上。碑の上部より順に墨打ちしている。水気も順に下へ移っていくので、それに合わせた墨打ちである。
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墨打ちがほぼ完了し。剥がした拓本が下の写真である。書風のままに紙面に採取できている。
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『扶桑鐘銘集』全3冊を得たのだった。書物としては木版印刷で、本文は楷書で原稿が書かれている。鐘の銘文を読ませるもので、銘文の「書」を見せるというものではない。

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法帖ではないので、銘文を集めて読ませる作り。序文は筆意彫りされているので、本文の文字と比較すれば、大きく作られ、序文版下筆者の書風も伝わるように作られている。

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なかなか高額な古本なのだが、今回は比較的安く得られた。古本もデータでなく現物を買って手元におきたいものだ。

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採拓手順として、水貼りから墨打ちへ。

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台石の碑文の採拓も同じ手順である。紙の水貼り、ブラシ打ちからの墨打ち。
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墨打ちは上から。水分は下に下がるので、上から乾いていく。
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墨打ちの完了で完成。
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「拓本」が単に読むために写しとる技術ではなく、文字の持つ視覚データとしての書体や書風もそのままに原寸で紙面に写す技術であることの確認ができるだろうか。
毛筆文化の中で発明された文字を写しとる「拓本」とは、字姿を見るための技術である。
活字翻刻のためのテキストとして読むためのものとは些か違うもの。未だ活字や硬筆の文字世界ではなく毛筆文字世界の中で発明された技術としての「拓本」であることを忘れてはならない。
このような事を殊更に言うのは、昨今「ひかり拓本」といった拓本という呼称を持ちながら読む技術に特化しているものが普及しはじめた。
碑を読むから拓本という呼称を用いることは正しくない。碑文を「書」として採取する技法として「拓本」はある。それを援用して読みにも利用するのである。
伝統的「拓本」技法の代替技術かのような申しようには誤りがある。伝統的「拓本」技法と最近の「ひかり拓本」とは全く別物であるという説明が必用であるが、奈良文化財研究所はアプリも売り出して伝統「拓本」技法を駆逐する方向である。これによって世の中が全体が更に伝統的「拓本」採取の許可に対して困難な返答となるのは困りものだね。

現存する最古の拓本は、敦煌(とんこう)の蔵経洞(ぞうきょうどう)で発見された唐時代の「温泉銘」で、拓本の起源は更にそれ以前に遡ると考えられている。当然現代の文字世界とは異なる毛筆文字を唯一の筆記法とする時代の中で発明の技法であることが知られている。
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(読み)のための技法ではないという意味である。書風の複写法なのである。
拓本は「
毛筆文字=書」を伝える技法(或いは複製する技法)であると了解しておく必要が、前提としてあることを忘れてはならない。
それを証明する一事として印刷された法帖の価値は書風にあるという事。書風を見るための書物である。書かれたものを活字翻刻しては法帖の書物としての価値はなくなってしまう。その点から考えても拓本は書風を摺るものであって、碑を読む技法では無いことが知れるだろう。…とここでは言っておく。

正面には4人の名が並ぶ。この部分は後に削って作り直したものと思われる。碑文を見れば本来は左から2番目の「広乗」の碑と知る。
さらに正面の書風のみ近代的で、近世の書ではないところから、他の3名と合祀した時、正面のみ削って作り直したものだろう。

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